東部地区マップ
春江東部地区マップ
散策ポイント
地図で探して一度は行ってみよう!思いがけない発見もあるよ!
正蓮花 吉澤資料館
吉澤家は北条氏の出で、鎌倉一族青蓮華家の家老として仕えた家柄であり、代々この家に伝わる古文書などを展示している。
また庭は池泉回遊式で一部に枯山水の様式も配されており、葵紋の石灯籠、樹齢百年と言われる「イチイの木」などもある。
※入館には予約が必要です。
吉澤資料館 TEL:0776-51-0761
春江複合高架水槽
この施設は、昭和60年(1985年)に一日最大15,000トンの飲料水を春江町全域に給水するために造られたものである。
東部地区5か所からくみ上げた地下水と竹田川水系から取水した水道用水をブレンドして配水している。
JR春江駅
北陸本線米原・小松間が開通したのは、明治30年(1897年)であるが、春江駅が設置されたのは大正15年(1926年)で、昭和の中頃までは主力産業の織物がこの駅から送り出されていた。
昭和39年(1964年)以降貨物は取り扱わず、通勤・通学客の起点となっている。
春江東小学校・幼稚園
平成19年4月に「人との触れ合いと自然を感じる学校」を基本理念として、開校された。
木造の温かみを随所に取り入れ、開放感あふれる教室の作りとなっており、隣接する幼稚園とともに東部地区のシンボル的存在となっている。
スクールカラーは赤と緑、校木はクスノキとなっている。
B&G海洋センター
この施設は、ブルーシー・アンド・グリーンランド財団が、地域ぐるみの健康づくりの拠点として建設したもので、プールを併設した体育館となっており、東部球場に隣接している。
青蓮華館跡
室町時代の末期(1493年)から朝倉義景が織田信長に滅ぼされる(1574年)までの約80年間、この地を治めた朝倉一族の青蓮華氏が構えた館跡と言われている。
「麻太子」伝説地
江戸時代の寛文年間の中ごろ、この辺りから聖徳太子の尊像が発見されたと言われており、名前にまつわる伝説が残っている。その像は現在丸岡町の浄応寺に収められている。
まつや地蔵
古くから京都と越後を結ぶ北陸道があり、この辺りは窪地となっていた。大雨のたびに芳野川の水量が増加して川止めとなり、旅人が溺死するなど難渋したと伝えられている。「まつや商店」の津田吉右衛門などが、両親や娘、この地で亡くなった旅人達の菩提を弔うために建立した地蔵尊で「津田地蔵」とも呼ばれている。
黄楊の堂
親鸞上人が越後に配流される途中「後家の長者」宅に逗留し、黄楊の楊枝を庭に挿して根付かせたとの伝説の地で、浄土真宗信仰の聖地とされている。
石仏大明神社
この神社は、江戸時代の中頃用水の江掘りの際、正蓮花から四ツ屋へ行く橋下川底から石仏2体を刻した石板を掘り出しこの地に祀ったのが始まりで、地名もこれに由来している。
春日神社(三ツ屋)
この神社は、昭和10年(1935年)地区の氏神様としてイザナギノオオカミを御祭神としてお祀りしている。昭和50年(1975年)に春日神社の名称にちなみ、奈良春日大社の特別摂社若宮神社を模して建て替えられたものである。
諏訪神社
神社の創建は、飛鳥時代の大化3年(647年)とする伝承がありますが、場所は現在地ではない。神社には二体の仏像が祀られているが、その背面に「正蓮花7村氏神」と刻まれていることから、かなり広い範囲で尊崇されていたと思われる。
春日神社(中筋)
平安時代の末期、保元年間(1156~1158年)に藤原家の氏神春日大明神を勧請したと伝えられている。現在の場所に移ったのは宝暦4年(1754年)と思われるが、それ以前はどこにあったか不明である。境内には、若者たちが力較べに使った「盤持石」が残っている。
住吉神社
創建年代は不明であるが、社伝によれば平安時代の延暦年間(782年~806年)に「坂上田村麻呂」が東北に遠征した時の旧跡から「坂上田村麻呂」を祭神として祀ったとされている。境内には、「承久の乱」に破れ佐渡へ追放となりその地で没した順徳天皇にゆかりの石碑がある。
白山神社
創建年代は不明であるが、この辺りが台地であり古くから開けていたので、かなり歴史はあると考えられる。明治12年(1908年)に村社となり一時期中筋春日神社に合併されるがその後現在地に再建された。境内にある石祠の由緒は不明であるが保存状態がよく、美しい形をしている。